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「自分のために生きる幸せ」の賞味期限

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20代の頃、「自分のため」に生きるって、
すごくポジティブな言葉だった。



やりたいことを全力で追いかけて、
自分を磨いて、自分の人生をちゃんと自分の手で選んでいく。



誰かに合わせるのではなく、
自分に正直に、自分を大事に。



そんな生き方が「幸せ」だと思っていたし、実際そうだった。


だけど、30代に入ったあたりから、
少しずつその“幸せ”の輪郭が曖昧になってきた。



やりたいことをやっているのに、どこか心がザワつく。


手に入れたものは確かに嬉しい。

でも、思っていたよりも喜びが長続きしない。


新しいことを始めても、
「次は何をすればいいんだろう」とすぐに考えてしまう。


最初は「疲れてるのかな」と思っていた。


でも何度も同じ感覚が続くうちに、
これは“自分のためだけの幸せ”に、どこかで飽きてきているんじゃないか?と気づいた。


もちろん、自分を大切にすることは、これからも必要だ。


けれど「自分のため」だけでリソース(時間・お金・労力)を使い続けることに、どこか限界を感じ始めている。



この感覚、あなたにも少し「わかる」と思ってもらえるんじゃないだろうか。



よく考えたら、20代って「自分を耕す時間」だったと思う。



どんな花が咲くかも分からないまま、土を掘り、種をまき、水をやる。



それはそれでとても尊い時間だったし、必要だった。



でも、30代に入ってくると、少しずつ芽が出て、葉が茂って、「今度は何をする?」というフェーズに入ってくる。



ここで求められているのは、「耕し続けること」じゃない。




むしろ、それまで耕してきたものを“誰かと分かち合う”という選択。



つまり、「循環させる」段階に入っていく。


自分のために頑張ってきたからこそ、
次はそのエネルギーを少し外に向けてみる。



家族でも、友人でも、後輩でも、社会でも、
誰かのために時間や労力を使うとき、不思議と心が温かくなる。



直接「ありがとう」と言われなくても、
「自分が役に立ったかもしれない」という感覚が、じんわりと満たしてくれる。



逆に、自分のためだけに時間を使い続けると、どこかで“循環”が止まってしまう。




その先にあるのは、ちょっとした虚無感や、
「結局、何がしたいんだろう?」という問いのループだ。




それは決して「間違ってる」とか「足りてない」とかじゃなくて、ただステージが変わっただけ。




これまでと同じルールで動いていたら、違和感が出るのは当然なんだと思う。



30代からの幸せは、きっと「自分の外側」にある。



それは、誰かの期待に応えることでも、自己犠牲することでもない。




ただ、今まで自分が育ててきたものを、そっと誰かに差し出してみる。



そのやさしさの中に、次の幸せがある気がしている。


🌱まとめ
「自分のための幸せ」には、優しい賞味期限がある。