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私は小さい頃から、感情は顔と言葉で語るものだと教わってきた。
それは多分学校でも言葉にこそされないが教わることであって、そういうものなのだろう。
けれど、私はなんとなく、また別の感覚を持っていたりする。これはみんなそうなのか、そういう人もいるのか、私にはよくわからないが、数学や色で表す感情というのも、確かに存在する。
嬉しさはベクトルの伸び。
寂しさはマイナスの傾き。
心の温度は、深い赤やくすんだ青で浮かび上がる。
数学や色彩から感じる感情もあるのだ。
WAIS検査で見えた「ズレ」
WAIS(知能検査)を受けたとき、結果ははっきりとした非同期発達を示していた。
言語理解:非常に高い(抽象的・論理的な把握が得意)
処理速度・視覚構成:非常に低い(図形や空間認知が著しく弱い)
つまり私は、言葉や構造で物事を理解する力は強いけれど、視覚的に「図」を読み取るのがとても苦手だった。
それでも、色は私にとって例外だった。
・色は「感情の温度」
私は色を形の手がかりとしてではなく、
感情の揺らぎや、気配、記憶の温度として感じてきた。
赤は警告や情熱ではなく、燃えている自分(心がです!)
青は冷静さではなく、深く静かな海のような心。
図としての視覚はうまく扱えなくても、色そのものは、私にとって触覚に近い視覚の言語のような存在だった。
だから私は、色と数といういわば「形を持たない記号」を、自分の感情の言語として選ぶようになった。
・数と色で知る自分
人の表情や空気を読むのは20歳くらいまでは難しかった。
でも、関係性の変化を数式に置き換えたり、心のざわめきを色彩のグラデーションで感じることは、なんとなくできた。
分かりやすく共感されるような表現ではなかったかもしれないが、私にとっての「感じる」はここにもあった。
WAIS検査が示した非同期は、私の「ズレ」を証明するものだった。
けれど今の私は、そのズレを方法に変えた。
私がnoteで書いてきた「色で語る日常」は、この非同期発達から自然に立ち上がったスタイルだ。
数というのもあるのだが、文章にしてみるとなんだか整わないので、今後少しちぐはぐな内容からでも書いていきたい。
さて、あなたにとっての【感情の言語】は、何だろうか。
言葉ではないかもしれない。
表情ではないかもしれない。
けれど、あなただけの感触があるはずだ。
私にとっては色と数だった。
あなたにもきっと、似たように他人とは少し違う「心の記号」があるはずだ。
そのズレから、私たちはいくらでも再出発できるのだ。
©心瑠華へべれけ