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お茶の水アートピクニックにむけて(2) 絵で大事だと思うこと=ハート 形なんてくそくらえだ!

お茶の水でスケッチ
アートピクニック
ぱぱお企画

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絵の描き方・・・なんてものはないんだけど こんなこと思って描いてみたら楽しかろう…とかなんかいい気分になれないかなと駄文をつづらせていただきます 大人になってスケッチなんてしないからさ 誰かのってくるといいなと一応書いてみる

絵の心 絵は共感の瞬間芸…だと思う

まずは二つの絵を・・・もう作者がだれかわからない・・・
むかーし横浜のそごうで幼稚園と小学校低学年の子供のお絵描き展覧会で賞をとってた絵です。

一枚目は幼稚園の子・・・・今思えば本当に子供のアイデアだけかな・・・
親がこうするといいよくらい言ったかもだけど
かまきりがかわいいーーとかいってお目目つけて遊んでたのがなんとなく
想像できる・・・あーたのしいよね・・・と共感できる

二枚目はこれほんとにボクシング見に行った子が興奮して描いてるんだろうなってのがひしひし伝わってきた。
下の方にいる観客の小さいこととボクサーのでかさと手がダルシムみたいにのびてのびて

子供は印象の強いものを大きく描くといいますが
気持ちの向いてる方向示すのに大人がわざとやってもいいかも
とにかく臨場感あふれてて 下手に大人が絵を習うと描けない
とてもいい絵だなとおもったのを覚えてます

もうこの子大人になってるはずってくらい昔の写真です(無断借用すみません・・・でもほめちぎってるからいいでしょう)

これも共感できるからいいんだとおもうんですよね・・・

言いたかったことは
あ・・・その景色(あるいはそれを見てたあなたの気持ち)わかるわー
・・という共感が伝えられたら絵は楽しいんじゃないか・・・ってことでした。

絵のすごいところは外人でも相手が自分の言葉わからなくても
あるいは自分が相手の言葉わからなくても
観たらわかることです
これは音楽もそうかな…と思います
歌詞がわからなくてもかっこよくて聞いちゃう洋楽とかも
なんか言葉超えて人の心を動かしてる…と思うんです

およそ芸術は絵でも音楽でも共感とか感動をよぶものと思っております
(人をプラスの気持ちにもっていくものもあれば、恐怖に陥れるものもあるでしょう。心を動かすって意味でどっちも感動)

で・・もって思うんですが
名画と言われるものでもまーー何時間も同じの見てられないですよね・・・たぶん

映画や音楽よりも、「絵」は共感の感動が続く時間は短いんだと思う。
すなわち絵は「瞬間芸」

よくこれから建築されるマンションの完成予想図とか
イラストででてくるけど
雰囲気伝えるための「製図」としてとても上手だけど
共感はない・・・ですよね
そこに暮らすとしたらこんななるかなという自分の未来を頭に描くけど
自分の経験に呼びかけるわけでもなし・・・共感はない

でもさっきの形は不正確なちっちゃい子の絵には彼(彼女かも)の
感じたリアリティ、彼がみた真実がどこまでも正確に伝わってくるから
僕らは共感するわけです・・・

だからあえて言うと「絵はこころ。形なんてくそくらえ!」と思うのです

まとめになってるかわからないけど

あるところで同じようなことを説明するのにつかったのが上のスライドです

よく風景画を見てそこから山はもっと右に見えるとか・・・
高さが違うとか・・・なんとかアルプスよく登ってる人が文句言ったりしますが 形なんかくそくらえなのです

そしてもう一つ上げた例
顔に傷のある彼女の顔を描く
傷を描かない・・・そういう優しさもあるし
傷を描く・・・・・それゆえに伝わる画家の感じてる喜びがあるかもしれない

事実は見えた形ですが、真実は形に潜む「こころ」です。
人を瞬間芸で共感させるものはあなたが見た真実=こころです

・・・と僕は考えます

↑たとえば で これ有名な絵で
「ブロードウェイブギウギ」っていいます

とある有名な絵描きがおじいさんになって
ジャズに合わせて踊るのが好きらしいんだけど
(それをブギウギっていうらしい)
そのタイトル付けて街の地図思わせる縦横の線と扉みたいな
図形

道(のような黄色の線)に適度な間隔で置かれた赤や青の
点々・・・(車とも人ともなんともいってない)

人の目は同じ色が間隔広げたり縮めたりしながらあちこちに置かれると
それを追いかけて頭の中に動きを作るように錯覚を起こします

にぎやかで踊るような点をならべて「ブギウギ」(若い人はこんな言葉しらないかもですね。おじさんの僕には東京ブギウギなんて曲が思い出されました)

これで音楽とか楽しいにぎやかな街を思い出させられたら
「瞬間芸」として成功してるんじゃないかとおもいます
(だから名画と言われてる)



えっとなにがいいたいかというと
子供の絵で「感動」の正体を僕なりに説明してみた

でも大人が絵を描いても(醜く汚れて形を知ってしまったから)
形とれてないと「下手」でおわってしまう

じゃあ形がとれてりゃいい絵なのか(感動できるのか)というと
そうじゃないよ(=製図は絵ではない)

感動っていっても映画みたあとみたいに終わった後30分も泣いたり興奮させることじゃなくて
瞬間芸の感動を呼び起こすには・・・・

たとえば色をリズムもって幾何学的に配置してみたり
構図という形が人の感覚に影響及ぼす要素を考えてみたり・・・

そういうことを楽しんでみる・・というのがあるかなと
そういう考えの説明をしてみます

上に左側には水平方向に同じものが単調につづく絵
右側は〇がすこし小さく位置がずれておかれたり
斜めの線がやはり大きさを変えて奥行を作ってる絵を
おいてます

「そう感じない」と言い張られちゃうとどうしょうもないのですが
多くの人は上でも下でも右側が退屈でないとかんじるのでないでしょうか?
丸が遠ざかって奥行を創ったり、あるいは斜めの線で右下がりと左下がりがペアで奥行を創ったりして目が画面の中に動きを作ってるように見えないでしょうか?

こういう絵が感じさせる画面内の動きをムーブマンといいます

ムーブマンは形でも、さっきの例のブギウギにあるように同じ色がリズムもって直線や円弧にそっておかれても感じさせることができます

あるいはスケッチで見た風景がなんか感動を誘うのは
形やパース(奥行)がムーブマンを作ってるからかもしれません
逆にこの景色描こうとおもったら気に入った構図になるまでロケハンするのも大事です。



意図的にないものをいれたり、あるいはあっても描かないで建物をかっこよくする のも画家の真実なんです
写真にはできないことだからこういうことを自由にやっていいんじゃないかと思います

なんも考えずに見た通り描く真実もいいんですよ。あまり抽象画を例に持ち出すのはよくなかったかも・・・ただ現地いくとスケッチは人もごった返してたり意外と近すぎて写真に納まらないほどでかくてそこからはうまく描けない・・・みたいなことがよく起こります

製図のようにうまく形をとるのが目的じゃなくてほんとはあそこからかいたほうがいいなとかもっと光輝かせて描きたいとか・・・なんでもやりたい放題なので
いったん頭の中で創作してもいいということです

あとセオリー的には上の図のように三分割線の交点や
画面の対角線に下した垂線の足のところに絵のメインになるオブジェを置くとどっしりと安定した画面になると言われてます
(守る必要もないし実際にやるときは本番の紙以外に落書きの紙もってだいたいどこに主役の建物など置くかな・・・といろいろ試します)

スケッチはあと奥行で人の目にムーブマンを感じさせます

絵は平面に描くものなのでしょせんは騙しなのですが
でも「近景」「中間」「遠景」をどうするか
(見た通りよりもムーブマン形成で遊んでみるなど
 そういう考えもありです)

絵が退屈だなと思ったらこんなこと考えるといいかなと思います

不思議なんですが、こういうこと考えるときも実際の風景を前にしないと
こうしてみようとは思いつかないものです
描いてる人がいろいろたくらんでも結局目が見たものを解釈して
描いてしまう

最後に有名な絵を例に(街角スケッチ・・・でここまでやらないとしても考え方として)

↑これは「クリスティーナの世界」という絵です
この女の人がタイトルからクリスティーナさんだってわかりますが
画家の妹さんだったと思います(=日本で異様に人気がある画家です。本国では言うほど売れてない気がする)

とても写実的な絵を描く人で遠近法を間違うとかありえないのですが
やたらに地面がそびえたって見えないでしょうか??

この人の画力からわざとやったんだと思います
上の方の家がそんな小さく描かれてないのに妙に遠く見える

クリスティーナの腰の曲がり方や異様な腕の細さに目が行くと
彼女が体が不自由な人だと見当がつきます・・・・

彼女にとってすぐそこの家もたどり着くのが大変なんだろうなと
感じられます。
すぐ近くのものが遠くに感じられるようにおそらく極端に立ち上げた地面に近くの芝は粗く(近く感じられるように)、遠くの芝は細かくして
透視図法でない描き方で距離を作ってます(と思われる)

作為的だけど画家は彼女の生活空間を表現したかったんだと思うのです
こういう絵が描ける人の(技術でなくて)感じる心とか
大事なものを見る感性には脱帽させられる。
名画だと思います。とても好きなやさしさのある作品だと思う。

アートピクニックは緩ーく描きたいですけどね^^
難しいこといったつもりもなくて
「形なんてあってなくていい」
「あるものかかなくたって、ないものかいたっていい」
「無い色いれてもいい」

自由にどうぞと言われると迷ってしまうかもですが
なかなか自由を感じれない世の中で
自分だけの感じた真実を共有する・・・のが楽しいのかなと思っております(うう…伝えるのが難しい・・・哲学とかではなくノリの共有です)