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劇団天文座 稽古レポート【2025年7月14日】
「なぜあの人は、あんなことを言ったのだろう?」 日常の会話で、そんな疑問を抱いたことはありませんか?
2025年7月14日、劇団天文座の稽古では、演劇の核心とも言える「サブテキスト」について、その奥深い世界を探求しました。単なる演技理論にとどまらず、人間理解の本質に迫る学びの時間となりました。
セリフの向こう側に広がる、もう一つの世界
「こんばんは」という挨拶ひとつにも、実は無数の意味が隠されています。疲れた声で言えば「今日は本当に長い一日だった」という思いが、明るく言えば「あなたに会えて嬉しい」という気持ちが込められるかもしれません。
サブテキストとは、言葉の表面に現れない、登場人物の本当の思いや意図のことです。ヘミングウェイが提唱した「氷山モデル」によれば、実際に口にする言葉は氷山の一角にすぎず、その下には巨大な感情や思考の世界が広がっています。
劇場に足を運ぶ観客は、この隠された部分を感じ取りに来ているのです。台本は家で読めますが、俳優が表現するサブテキストは、その場でしか味わえない生きた芸術なのです。
サブテキストの本質は、キャラクターが公に言っていること(テキスト)と、心の内で本当に感じ考えていること(サブテキスト)の間に生じるズレやギャップそのものにあります。このギャップこそが、人間の複雑さと美しさを表現する鍵となるのです。
心の奥深くを探る「3つの層」
今回の稽古では、サブテキストを3つの層に分けて理解する、画期的なアプローチが紹介されました。この分類は、人間の心理構造を深く理解するための重要な枠組みです。
【顕在的サブテキスト】意識できる本音
これは今頭で意識できる部分で、送り手と受け手の両方が、ある程度意識的に関わっているコミュニケーションの領域です。
具体的な場面を想像してみましょう。 恋人に「今日の服、似合ってる?」と尋ねる時、表面的には服装について質問していますが、顕在的サブテキストには「褒めてほしい」「愛されていることを確認したい」「自分に自信を持ちたい」という明確な意図があります。
演技においては、「これで褒められたい」「これでいいんでしょうか」「相手を傷つけたくない」といった意図がこの層に該当します。俳優は自分の意図を自覚し、それを相手に伝えながら演技を構築していきます。
【潜在的サブテキスト】分析で見えてくる真実
作品を深く読み込むことで発見できる隠された意味です。この層では、象徴、比喩、反復、対比などの文学的技法が重要な役割を果たします。
文学作品での例: ある短編小説で「毎日同じ時間、同じ席」という描写が繰り返されるのは、単なる日常の描写ではありません。これは登場人物の心理状態——閉塞感、単調さへの絶望、変化への渇望——を象徴的に表現しています。
さらに、その単調な日常に「赤いドレスの女性」が突然現れる場面があったとします。赤という色彩は情熱、変化、危険を象徴し、「単調な日常に突然現れた情熱的な変化への予感」を暗示している可能性があります。
演劇における潜在的サブテキスト:
登場人物の台詞の中に隠された階級意識
舞台美術や照明が暗示する心理状態
反復される言葉やしぐさが示す強迫観念
沈黙や「間」が表現する葛藤や決意
【無意識的サブテキスト】作者さえ気づかない深層
最も深い層にある、無意識の領域です。フロイトの精神分析の手法(夢、矛盾、奇妙な繰り返し)やユングの集合的無意識といった概念を用いて探求されます。
日常生活での例: SNSで「今日も充実した一日でした」「感謝の気持ちでいっぱいです」と頻繁に投稿する人を想像してください。表面的には前向きなメッセージですが、その頻度や強調の仕方から、実は心の奥で不安を抱えている可能性があります。これは本人さえ気づいていない無意識の表れかもしれません。
文学・演劇での無意識的サブテキスト:
作者の個人的なトラウマが作品に投影される
時代の集合的無意識が登場人物の行動に影響する
文化的な価値観が無意識に作品構造に反映される
例えば、シェイクスピアの『ハムレット』において、主人公の優柔不断さは、単なる性格描写を超えて、ルネサンス期の人間が抱えていた中世的価値観とヒューマニズムの間の葛藤を無意識に表現している可能性があります。
サブテキストの歴史的背景と文化的意義
サブテキストの概念は、19世紀末から20世紀初頭にかけてロシアの演出家コンスタンチン・スタニスラフスキーが「ポドテキスト」として確立しました。これは演劇史における革命的な転換点でした。
スタニスラフスキー・システムの核心:
俳優は登場人物の内面生活を徹底的に理解する必要がある
感情の記憶を利用して、真実の感情を舞台上で再現する
「もし私がこの状況にいたら」という想像力を駆使する
この思想はアメリカに渡り、アクターズスタジオで「メソッド演技法」として発展しました。マーロン・ブランドの『欲望という名の電車』での圧倒的な演技や、ジェームズ・ディーンの『エデンの東』での繊細な表現は、まさにサブテキストの力によるものでした。
世界の演劇文化との比較:
西洋近代演劇:リアリズムの中で内面心理を重視
日本の伝統演劇:能や歌舞伎では「型」や様式美を通じて感情を表現
ミュージカル:サブテキストが歌やダンスで表現される
日本の現代文化:「空気を読む」文化は、西洋とは異なる複雑なサブテキスト文化を形成
実践で体感する、サブテキストの力
理論だけでは終わらないのが、劇団天文座の稽古の魅力です。この日は「星の巡る停車場」という短い台本を使い、様々な要素を段階的に加えながら、サブテキストの表現に挑戦しました。
段階的アプローチの詳細
第1段階:目的意識の明確化 各セリフの背後にある目的を意識します。「相手を慰めたい」「自分の気持ちを伝えたい」「距離を置きたい」など、具体的な意図を設定することで、同じセリフでも全く異なる表現が生まれます。
第2段階:マズローの欲求階層の適用 登場人物がマズローの5段階欲求のどの階層にいるかを意識します。生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求——それぞれの階層によって、同じ言葉でも緊急度と重要度が変わります。
第3段階:人間関係の力学
話す相手:母親に話すのか、恋人に話すのか、見知らぬ人に話すのか
社会的地位:上司と部下、先輩と後輩、対等な関係
物理的距離感:近距離での親密な会話か、遠距離での公式な発言か
第4段階:感情的背景の構築
失ったもの:愛する人、地位、夢、健康など
大切な価値観:家族、正義、美、自由など
直前行動:何をしていた後にこのセリフを言うのか
第5段階:演出的要素の追加
動きの指示:立っているのか、座っているのか、歩いているのか
呼吸のコントロール:深呼吸の後か、息を切らした後か
語尾の繰り返し:特定の語尾を繰り返すことで、そのサブテキストを探る
参加者の深い気づき
「社会的地位を意識すると、相手の目をずっと見つめることができるようになった」 この発見は重要です。権威のある立場の人物は、相手の目を見て話す傾向があります。逆に、立場の弱い人物は目を逸らしがちです。この身体的な変化が、観客に登場人物の心理状態を無意識に伝達します。
「物語を自分の中で構築しながら話すと、セリフがより深く響いた」 これは「バックストーリー」の創造です。脚本に書かれていない登場人物の過去や関係性を想像することで、セリフに深みと真実味が生まれます。
「普段から人の言動を観察し、その人のサブテキストを考えることで、人間理解が深まる」 この気づきは、演劇を超えた人生の知恵です。相手の言葉の裏にある真意を理解することで、より深いコミュニケーションが可能になります。
スタニスラフスキーの「心理物理的行動」理論
スタニスラフスキーは晩年に重要な発見をしました。それが「心理物理的行動」というアプローチです。
従来の考え方: 内面の感情 → 外面の表現
心理物理的行動の考え方: 具体的な身体的行動 → 内面的な感情や心理の誘発
例えば、「悲しい」という感情を表現したい時、まず「悲しい気持ち」を作ろうとするのではなく、「重いものを持ち上げるような動作」「肩を落とす」「視線を下に向ける」などの具体的な身体的行動から始めます。すると、身体の状態が心の状態を引き出し、自然な感情が生まれるのです。
サブテキストを身体で表現する技法:
視線のコントロール:相手を見つめる、目を逸らす、遠くを見る
姿勢の変化:背筋を伸ばす、縮こまる、リラックスする
呼吸のリズム:深い呼吸、浅い呼吸、息を止める
声のトーン:高低、強弱、速度の変化
「間」の使い方:沈黙の長さと質
「心の理論」と共感能力の重要性
現代心理学における「心の理論」は、他者の思考や感情を理解する能力を指します。この能力は、俳優にとって不可欠な要素です。
心の理論の3つの段階:
一次的心の理論:他者が自分と異なる考えを持っていることを理解する
二次的心の理論:「Aさんは、Bさんが何を考えているかを知っている」という複層的な理解
高次の心の理論:複数の人物の心理状態を同時に理解し、その相互作用を予測する
優れた俳優は、自分の登場人物だけでなく、他の登場人物の心理状態も理解し、その相互作用の中で自分の演技を調整します。これにより、舞台上に生きた人間関係が生まれるのです。
AIが拓く、新しい演劇の可能性
稽古では、AI技術の演劇への応用という革新的なアプローチも紹介されました。
AI活用の具体的な方法:
脚本分析の効率化:ChatGPTやGoogle AI Studioを使って、セリフからサブテキストの候補を大量生成
パターン探索の加速:100通りものサブテキストを短時間で試すことで、最適な表現を発見
バックストーリーの創造:AIと共同で登場人物の詳細な背景を構築
稽古の記録と分析:演技の変化や成長を客観的に記録・分析
堀江貴文氏の「大脳の拡張」理論: AIは人間の創造性を奪うのではなく、「考える時間」を「試す時間」に変える道具です。俳優は、AIが提示する多様な選択肢の中から、自分の直感と経験に基づいて最適なものを選択し、さらにそれを発展させることができます。
AI時代の俳優に求められる能力:
大量の情報から本質を見抜く洞察力
AIが提示する選択肢を自分なりに解釈する創造力
最終的な表現を決定する判断力
人間にしかできない感情の深さと複雑さを表現する能力
日常を豊かにする、サブテキストの学び
サブテキストの理解は、演劇の枠を超えて私たちの日常を豊かにします。
ビジネスシーンでの応用:
会議での発言の裏にある真意を理解する
顧客の言葉に隠された本当のニーズを発見する
部下や同僚の心理状態を察知し、適切な対応をする
人間関係での応用:
家族との会話で、表面的な言葉の奥にある感情を理解する
友人の悩みの本質を見抜き、適切なサポートを提供する
恋愛関係で、相手の本当の気持ちを察知する
自己理解の深化:
自分の言動に潜む無意識のパターンを発見する
本当の感情や欲求を自覚する
自分の価値観や信念の根源を理解する
文学・映画鑑賞での新しい視点
サブテキストの3層構造を理解することで、文学作品や映画の鑑賞がより深いものになります。
文学作品の分析例: 夏目漱石の『こころ』を3層で分析すると、先生の「私は淋しい人間です」という言葉は、顕在的には孤独感の表明ですが、潜在的には「理解してほしい」という願望を示し、無意識的には明治時代の知識人が抱えていた西洋文明と東洋的価値観の間の葛藤を表現している可能性があります。
映画鑑賞での応用:
俳優の表情や仕草から、台詞に表れない感情を読み取る
映像の構図や色彩から、監督の意図を理解する
繰り返されるモチーフや象徴から、作品の深層テーマを発見する
実践のためのエクササイズ
日常生活でできるサブテキスト練習:
観察エクササイズ
電車の中で乗客の表情や仕草を観察し、その人の心理状態を想像する
友人や家族の何気ない発言から、本当の気持ちを推測する
自己分析エクササイズ
自分の口癖や行動パターンを記録し、その背後にある心理を分析する
夢の内容を記録し、フロイト的な解釈を試みる
創作エクササイズ
好きな映画のワンシーンを選び、登場人物のサブテキストを書き出す
日常の会話を台本形式で記録し、サブテキストを付加する
自己理解なくして他者理解なし
最後に、重要な原則を確認しておきましょう。サブテキストを理解し、表現するためには、まず自分自身を深く知ることが必要です。
自己理解の段階:
表面的な自己認識:自分の好き嫌い、習慣、性格
深層的な自己理解:なぜその価値観を持つのか、どのような経験が影響しているか
無意識の自己発見:自分でも気づかない思考パターンや感情反応
自分の心の奥底を理解することで、初めて他者の心に共感し、真実の表現ができるようになります。これこそが、演劇が私たちに与えてくれる最大の贈り物なのです。
あなたも、この探求の旅に参加しませんか?
劇団天文座では、このような深い学びと実践的な体験を通じて、演劇の本質に迫る稽古を定期的に行っています。演技経験の有無は問いません。大切なのは、人間の心の奥深さに興味を持ち、表現することの喜びを味わいたいという気持ちです。
サブテキストの世界は、一度足を踏み入れると、もう後戻りできない魅力的な領域です。日常の何気ない瞬間が、新しい発見に満ちた体験に変わります。人との関わりが、より深く、より豊かなものになります。
次回の稽古では、あなたも「言葉の向こう側」の世界を探求してみませんか?
劇団天文座について 人間の内面を深く掘り下げる演劇創作を目指す劇団です。伝統的な演技理論から最新のAI技術まで、多様なアプローチで表現の可能性を追求しています。
稽古見学・参加希望の方へ 演技経験は不要です。人間理解を深めたい方、表現の喜びを味わいたい方のご参加をお待ちしています。