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こんちには。関西賛歌のマコです。
今回は惜しくも中止になってしまったイベントですが、参加者さんがひとりいらっしゃったので非公式で行ってきました。
行き先は「地獄」。
みなさん、京都にはあの世へ通じる場所が2ヶ所あるのをご存知でしたか?
今回はそのうちのひとつ「化野(あだしの)」、「この世への帰り道」と呼ばれる場所に行ってきました。
なんだかゾクゾクしますね。
この石碑はJR嵯峨嵐山駅から北へ10分ほど歩いたところにあります。
左は化野、右は愛宕山。そして奥には六道の延命地蔵尊。
つまりここはあの世とこの世の境目、「六道の辻」なのです。
六道の辻を左折してしばらく歩くと清涼寺が見えてきます。立派な山門です。
ここは源氏物語の光源氏のモデルになったと言われる源融(みなもとのとおる)公の山荘を寺にしたのがはじまり。
源融公は嵯峨天皇の皇子でしたが、臣籍降下し源氏を名乗ります。これは光源氏と全く同じです。
その嵯峨天皇の仙洞の「嵯峨院」の一部を山荘として賜ったのがこの清涼寺の前身で、源氏物語に出てくる「嵯峨の御堂」はこの清涼寺であると目されています。
奥に見えるのが本殿。
かなり立派な建物です。
堂内は撮影禁止ですが、本尊や絵画、庭園を間近で見られるのでオススメです。
特にご本尊は生身仏で、赤栴檀という香木を彫られたものです。
他にも五百羅漢図という絵画も展示されていました。
私は仏教美術にはあまり詳しくないのですが、なんだかキリスト教の最後の審判を彷彿とさせるような混沌とした絵でそれぞれの人物がいきいきとした表情をしていました。
続いてこちらは秀頼公の首塚。
近年の大阪城三の丸発掘調査で見つかった頭蓋骨が納められています。
頭蓋骨は丁寧に埋葬され、介錯の痕があったことからおそらく秀頼公で間違いないとのこと。
個人的には(丁寧に埋葬されていたなら、大阪城に埋めたままでもよかったのでは?)と少し思いましたが、どうなんでしょう笑
ちなみに淀殿のお墓は大阪の太融寺にあります。
さて続いては本日の目玉・嵯峨薬師寺。
ここは清涼寺境内にあるお寺ですが、一年に一度8月23日しか開いていません。
前を通るとちょうど読経がはじまったので、滑り込みで参戦。
ここのご本尊は秘仏とされ、嵯峨天皇から勅封(天皇の勅命によって封印)されてきたそうです。
(そんなすごい仏様を写真に撮っていいのか…?)
御厨子の開閉は嵯峨薬師寺の住職にも許されず、嵯峨御所と言われた大覚寺によって行われたそうです。
また生六道地蔵菩薩は小野篁作と言われています。
小野篁というのは今回のイベントのテーマで、嵯峨天皇に参議として仕えた人物です。
小野妹子の子孫で、小野小町や小野道風は篁の子孫になります。
小野篁というのが、とても面白い人物で、昼間は内裏に参議として参内し、勤めが終わると鳥辺野の六道珍皇寺から井戸に入り地獄へ行き、閻魔大王の補佐をしていたと言われています。
そして地獄での仕事が終わると、化野の井戸から此岸へ黄泉返り、また内裏へ参内するのだとか。ハードワーク笑
その此岸への帰り道が化野の生の六道にあった井戸だったと言われています。
井戸はいくつか見つかっていますが、全て埋め立てられ今は宅地になっているようです。(本当に篁の井戸だったらS級事故物件ですな😂)
境内には嵯峨天皇・檀林皇后の宝塔があります。
檀林皇后は嵯峨天皇の后で、檀林皇后もまたキャラが濃いです笑
檀林寺というお寺を建立し、そこで唐の僧侶・義空を招いて開山し禅を学んだのだとか。
檀林皇后はとても美しい女性であったので、修行僧までもがその美貌にあてられたそうです。
檀林皇后は諸行無常を人々に感じてほしいということで、私の遺体は道に捨てなさいという遺言を残したそうです。
当然、皇后の遺体を捨てるなど畏れ多いものがあったと思いますが、遺言通り皇后の遺体は道に捨てられました。
その場所というのが嵯峨野から少し東にある帷子ノ辻です。
皇后の遺体は道端でどんどん朽ちていき、その様子は「檀林皇后九相図」といって東山の西福寺に納められています。
宝塔の近くに源融公の墓所がありました。
ここで一旦ランチタイム。
ヴァガバァーン。ヴァガバァーンというのはサンスクリット語で「お釈迦さま」という意味なのだそうです。
インパクトのある名前なので、一度見ると忘れないです笑
メニューの名前も面白くて、大念仏というかき氷や釈迦ソーダ、苔ソーダ、ちょっと忘れちゃいましたが仏教にまつわる色んなメニューがありました笑
レトロな店内で、私と同行者のHさんはサンドイッチのランチを食べました。
たまごサンドと小倉山サンドと大原女サンド。
美味しかったです👍
ランチ後は化野念仏寺へ。
西院の河原(賽の河原)は圧巻です。明治時代に地元の人々がこのあたりに散乱埋没していた石仏をすべてかき集めたのだとか。
また中央には阿弥陀坐像があり、石仏はこの阿弥陀坐像の説法を聞くように中心を向いた配列になっているそうです。
貴族や上流階級が浄土を求めた清涼寺とは対照的に、化野念仏寺は名もなき衆生の人々の祈りの場であったようです。
六道を回っていると、どこの場所でも空也上人、弘法大師、法然上人の名前を度々目にします。
この化野念仏寺も弘法大師が、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅山寄りを胎蔵界に見立て千体の石仏を埋め、真ん中を流れる曼荼羅川の川沿いに五智如来を立て、一宇を建立して五智山如来寺としたのが始まりとされます。
その後、鎌倉時代に法然上人が常念仏道場としたため浄土宗に改宗し、念仏寺と呼ばれるようになったそうです。
さきほどの清涼寺も法然上人が24歳の頃に参籠して法を求めたのだとか。
嵯峨薬師寺の勅封秘仏も、世に悪疫が蔓延しているのを憂慮した嵯峨天皇が薬師如来像の彫刻を弘法大師に命じたと言われています。
また鳥辺野にある六波羅蜜寺は空也上人が開祖であり、この六道の繋がりにはなにか当時の宗教観や世相に意味があったのではと感じます。
またもう一つの葬送地、蓮台野は紫野と呼ばれる京都市の北区の地域にあり、紫野は紫式部が余生を過ごした地とされる。
化野には源氏物語のモデル・源融公の山荘と墓所がある。
鳥辺野は大河ドラマ「光る君へ」に登場した。まひろと道長が、ドラマオリジナルの人物・直秀を一緒に弔ったシーンは鳥辺野であった。
また、紫式部は「源氏物語」という恋物語で世の風俗を乱し、地獄へ堕ちたとされる。
成仏できない紫式部の亡霊を憐れんだ人々は、地獄で閻魔大王の補佐をしている小野篁に仲介してもらおうと、紫式部の墓の隣に小野篁の墓を並べたのだとか。
これは俗に「源氏供養」と言われる。
六道まいり、京都三大葬送地は知れば知るほど面白い。
化野念仏寺からもう少し山の方へ進むと、愛宕山登山口があります。
今日はさすがに登りませんが笑、その登山口の近くに鮎料理の「鮎の宿 つたや」さんと「鮎茶屋 平野屋」さんがあります。
今回はつたやさんに行って一服しました。
店内には弁財天さんが。
今年は巳年なので、なんだか嬉しい。
同行者のHさんとは嵯峨嵐山駅で別れましたが、阪急の駅に向かう道すがら安倍晴明のお墓を見つけました。
9月26日は安倍晴明の命日にあたり、ここで祭典が執り行われるのだとか。熱心な崇敬者があつまるディープなお祭りだそうです。
ちなみに9月23日の晴明祭はイベントを組んでいるので興味のある方はぜひ🙏✨
帰り道の渡月橋はとても神々しい空を見せてくれました。